美しいもの

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血が滲んでいることに気づかない

自分は思ってるより疲れてる。

このことに気づかないのが私の悪いところだ。

苦労を苦労と思わない節がある。

血の滲むような努力をしているのに、血が滲んでいることに全く気づかない。

例えば?

たとえば学生時代、私は定期テストの度に泣きながら勉強していた。

なぜかって?

わからない問題があるからだ。

社会の暗記問題で、何度やってもどうしても覚えられない問題があって、悔しくて泣いたときの光景を今でもよく覚えている。

周りはよくやっていると言った。現に、その頃の定期テストでは90点を割ると悪い方に入った。

だからなんだ。ただの自慢話だと思うだろう。私はその調子で死ぬほど努力を続け、ぽっかりとうつ病になったのだ。

おととい言われた。きついことをきついと思いながらもやれちゃうような人はふとしたときに精神疾患になりやすい、と。

ああ私のことをよく見てくれている人がここにもいた。

限界が見えない。限界をとうに過ぎているのに限界が見えない。全身ボロボロになるまで頑張っていて、周りによく頑張っているねと言われていても、自分にとってはなんてことないのだ。

よく勉強しているね、と言われた。頭がいいね、と言われた。私はその度に、そんなことないよ、と返した。

謙遜に聞こえただろう。でも私は、心の底から本心で答えているのだ。私は大したことはやってない、私なんて普通の範疇を超えていない、と本当に思っていたのだ。

そんな私がうつ病になってしまったのは、もう必然としか言いようがない、と主治医は言うのだろうか。

 

うつを発症してからは、自分はなんてダメなやつなんだという気持ちがしていた。それはもちろん症状なのだけど、当時の私にとってはそれが本当に本心だった。最近は「私なんか」という言葉はあまり言わなくなった。毎日、自分はよくやれてるよ、と声をかけられるようになった。

しかし、今の状況に対しては、こんな楽な環境なんてない、と思っている。思ってしまっている。また同じだ。本当は新たな場で新たなことをやっているのだし、たくさんの失敗と気疲れをしながら生活しているのだから、結構きついはずなのである。しかし私は幸せだと言う。こんなの全然大したことない、と言う。これは学生時代と何が違うのだろうか。私は実は血の滲むような状況にいるのではないか。この間同僚に、「俺たちは思ってるより疲れてるよ」と言われた。自分が疲れていることを自覚できる!!!!これは私には未だ身についていないことだ。勢いで予定を入れてしまうのもそう。私には生まれつき、自分の限界具合を計るメーターがついていないらしい。だめだなあ。そう言う同僚は、とても余裕があるように見えた。いつもがむしゃらで、全力で、その分余裕がなくて、血が滲んでいることに全く気づかない私。少し変われれば、とてもいい努力家になれるのかなあ。また同じ過ちを繰り返しながら、今度こそ学習できるようになれたらいいけど。無理な気もするけど。