美しいもの

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悪口

中学校とかって、なんであんなに狭い空間の中で他人とひしめき合っていたのだろうね。

きっといじめなんかもこの典型例で、1つの学校の世界で起こった深刻な出来事に支配されてしまう。今考えればあんなちっぽけな世界でつまらん奴らと人間関係をごたごたさせてしょうもないと思えるのだが、当時の自分にとってはあの世界が全てで、等身大で全力で面倒な人間関係に直面していたのだと思う。

私はわりと閉鎖的な中学校に通っていたからか、いや全国どの中学校に行ってもだいたいあんな感じか、まあ誰と誰がもめたとか、あいつが嫌いだとか、あの子に嫌われたら終わりよとか、そういう人間関係の面倒さにしばしば直面していた。そんな中で友人の一人が「私今日から人の悪口を言わない」と宣言して実行しようとしていたことを覚えている。その子はとってもユーモアのある人である一方、私に通じるところのあるような闇や考え方も持ち合わせた人だった。彼女の他人に対する振る舞いは、当時の自分が見てもハッとするものがあった。そんな彼女を見て「私も今日から人の悪口言わない!」と意気込んでいたが、当然三日坊主に終わっていた気がする。

そんな他人に対する悪口や嫌悪にあふれていた私でしたが、今はめったに他人の悪口を言わなくなった。さらに、人を嫌いになることもほとんどなくなった。どうしても無理だなと思う人は、高校に1人、大学に1人、サークルに1人、バイト先に1人、くらい。驚くほど綺麗に一人ずつであるところを見ると、きっと1つの集団に合わない人が1人くらいいるものなんだろう。

なぜこんなに人を嫌わないのかというと、おそらく他人に興味がなくなったからだろう。うつ病は自己愛の暴走と聞いたことがあるが、まさに私はそれだと思う。他人の性格が悪かろうと、私が将来困ることなどないのだ。嫌いな人と関わるときは、この人はきっと以前からこういう性格で、私が注意したところで直るはずもないので、私に危害を加えてきたときだけ対処療法的にかわそう、という感じで考えている。そうすると、大概の好きでない人は「嫌いな人」ではなく「どうでもいい人」にカテゴライズされる。自己愛の暴走については、また別の機会に語ろうと思う。

私は人間関係にも億劫さを感じるので、悪口ばかり言う中学生のような集団には近づかないように半ば無意識に努めてきたらしい。その結果、最近は女社会の悪口に遭遇すると、「久しぶりにこんな典型的な悪口大会に遭遇したなあ」となつかしさすら覚えるようになった。私は悪口を言われている人のことは結構どうでもいいので適当に笑っているかそっとその場を離れるが、数人で誰かの悪口を言うという行為は、きっと楽しくて快感をともなうものなのだろう。確かそうだった気がする。

なんだか自分の人間関係論を自慢するような記事になってしまったが、思ったことをそのまま言う場所なので許してね。小学校4年生のときから人間関係に生きづらさを感じていたが、中学生のときよりはずっと楽になったし、我ながら人間関係をかわすのが上手くなったと思っている。だから小中学生の私、焦らなくていい。自分は日本人の、女子の、人間関係に向いていなかったというだけで、うまくやっていく方法はあるんだと。まあこれを中3の自分に説いたところで、学校社会で精いっぱいの中学生自分には響かないのだろうが。