美しいもの

美しいものを追いかけていたい http://twitter.com/kasg_wr

意味が分からない。
あんな逆境にいながら、日記帳の言葉たちはこれでもかというくらいキラキラ輝いている。
なぜだ?
高校時代の日記を読み返し始めた途端腹痛におそわれた。もうひとつ気づいたことは周りの人たちの言葉。自分を見抜いた言葉があらゆるページにちりばめられている。
そんなこと言われたっけ、と思うこともあった。
また好きになっちゃうじゃないか。
自分が未だ鮮烈に感覚的に覚えている出来事は、たった一行で終わっていて、その代わりに、その日あった出来事が長々と語られていた。
ああ私は、文章を書くことが本当に好きみたいだ。
思ったことがあふれて止まらないこの性質は、きっと持って生まれたものなんだろう。
意味が分からない なぜ高校時代の自分はこんなにきらきらしているのか
抑うつ最大にもかかわらず、人生で最も充実していて、最も幸せな時代を生きていた。
等身大で、全身全霊で生きていたと思う。それが裏目に出たのだろうとも思う。
きらきらした名言や自分へのアドバイスを何度も何度も並べながら、一個も実践できていなかったことに今さら笑っている。
等身大で生きていたから、そこを改善できる余裕もなかったんだと思う。
もう一度あの頃に戻れても、きっと同じことを繰り返していたと思う。どうにもあれで精いっぱいだったの。
先生にもらったチョコレートの包み紙も、ポーチに入った指輪も、きれいな山の写真も、あの瞬間を一度も忘れたことはない。
忘れないといけないことはわかっている。わかっている。わかっている。
結局自分のわからなかったことを追い求めている。4年も経ったのに。
馬鹿だとわかっている。大バカ者だ。なんとでも言ってくれ。
大量に並んだきらきらした言葉を見ながら思う。並んでるだけでは意味がなかったんだと。

毎日吐き気と涙と一緒に生きていた私、覚えていますか
もうあんな幸せで最悪な日々は二度と来ないと思う。と言いつつ、まだこの先の人生でそれを越えるような出来事が起こりうるとも自覚している。
それでも私は思う きっと高校時代ほど不幸で、幸福で、きらきらしていた青春時代はやってこないと