美しいもの

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私が電車に飛び込みそうになったときの話

※この記事には自殺に関する事柄が含まれます。苦手な方、不安定な方、このような話に引っ張られる方はお気をつけください。

 

私はうつ病だ。うつ病には「希死念慮」という症状がある。死にたいと思ったり、実際に自殺を図ったりする症状だ。私はこれをあくまで症状の一つにすぎないと考えているので、「死」「自殺」という言葉をあえて濁さずに記そうと思う。とは言っても、現実で他人に死にたいとはなかなか言えないのですが。

うつ病の私も例外ではなく、何か失敗したとき、調子が悪いとき、そして特に理由がないときもたびたび「死にたい」が訪れる。私の場合、最近はうつ病が軽度で、「いくら症状だからといって、本当に死んでしまってはいけない」という気持ちが勝てるので、自殺を実際に行おうとはしない。しかし一度だけ、危うく自殺をしそうになったことがある。この記事は、その経験をただ述べるだけのものである。

 

1年と少し前、私はとても忙しかった。週7回、朝から晩まで予定がある。しかもどの予定もプレッシャーや体力がかかるものだった。多忙を極め、私は不調だった。毎日生きた心地がせず、やらなければならないことで精神的に自分を追い込み、体力は消耗していた。予定を詰め込みすぎた自分が悪い。これに尽きるのだが。

ちょっとしたお出かけをする日だった。行かなくてもいいのに無理をして出かけた。馬鹿だった。家で休めばよかったのに。妹と電車に乗るために、駅に降り立った。

そのときの心理状態はふわふわしていた。正常な気持ちではなかった。別に強烈に死にたいわけではなかった。ただただ、非常に体調が悪いのに行かなくてもよい用事に出かけるくらいには判断能力が欠如していた。フラフラだった。何も考えていなかった。ボーッとしていた。足取りも危うかったかもしれない。

たまたま駅のホームの、通路が狭いところにふらふら歩いて行った。目の前はクラクラしていた。頭をもたげて泣きそうな顔で歩いていた そのとき 電車が駅のホームを通過してきた。

私はこの時間に特急電車がこの駅を全速力で通過するのを知っていた。しかし私は死のうとしてここに来たわけではないし、もう一度言うがそのとき強烈に死にたいと思ったわけではない。しかし、意識が朦朧としていた私は思った

 

ああ

飛び込むか

 

本当に不思議な感覚だった。使ったことないけど麻薬でふらふらになったような気持ち。もう正常な判断はできなかった。スローモーションのように、ふわふわと、ゆっくりゆっくり時間が流れた。全速力で向かってくる電車が、ものすごくゆっくり進んでいるように見えた。ただただ、たまたま、特急電車が通過するとき私はふらふらで、生きた心地がしなくて、ホームの狭いところにいただけの話だ。

特急電車が駅にさしかかった。飛び込もうというその気持ちにふっとよ遮るものがあった。隣には一緒に出かける妹がいた。

 

妹の前で電車に飛び込んで死んだら妹はトラウマになるだろうなあ それはダメだなあ

 

そして私はものすごい勢いで駆け抜ける電車を、妹とホームの狭いところに立って、目の前でやり過ごした。時間の速さは普通に戻っていて、ふわふわふらふらした感覚は特急電車の勢いにかき消された。

 

ここまでの出来事は、たった十数秒のうちに起きて、考えたことだ。

本当に危なかった。

言葉にすると長いけれど、実際は十数秒のうちに「ああ…ああ…」という言葉にならない言葉で考えて行動したものだ。それくらいとんでもない気持ちが、一瞬で駆け巡って消えた。

隣に妹がいなかったら、私は家のすぐ近くの駅で死んでいたかもしれない。大して死にたくもなかったのに。

希死念慮は恐ろしい。本当に死にたくなるのだ。本当にだ。それは正常な判断を失わせる。正常な判断は死ぬことだとさえ思わせるほどの力がある。

絶対に死んではいけないのだ。

私はそれ以来、駅のホームで電車が通過するのに遭遇するときは、必ずホームの真ん中にいるか、椅子に座るようにしている。そして、「あるときふと死んでしまわないように気をつけよう」と心にとめるようになった。

いつも優しい言葉を使う病院の先生やカウンセラーも、私が死にたいと言うと「絶対にそれはいけない」「死んではいけない」と言う。それくらい厳しく忠告しなければならないことなのだ。私は生きていくのがしんどくて、死んでしまえればどんなに楽かと思ってしまう。なぜならこういう症状だから。しかし、生きなければならない。なんとしても、死んではいけない。

この気持ちを保つモチベーションのようなものは、私が自殺を遂げることで、「他人の人生を変えてしまう」という考えだ。家族が悲しむよ、とか、自殺では保険金が下りないかもしれないよ、とか、そういう説得は私の症状には通じないのだ。私にとって死を遠ざける言葉は、「私が死ぬと他人の人生を変えてしまう」だ。

私が電車に飛び込みかけたとき、隣には妹がいた。きっとあそこで線路に飛び出していれば、妹の人生を、周りの人たちの人生を、間違いなく変えてしまっただろう。生きることは大変なことだけど、私はあのときの「妹の前で電車に飛び込んだらいけない」という一瞬の判断を決して忘れることなく、これからも生きていくつもりだ。