美しいもの

美しいものを追いかけていたい http://twitter.com/kasg_wr

音楽の力とはすごいもので、こうやってブログを書こうと鬱々とした気持ちを発散させようとしているときにお気に入りの音楽を流すと、それらの感情が流れ去ってしまう。それを少し残念がる私の性格はきっと悪いメンタルの典型なのだろう。ああ気分がいい。

苦手な人と仕事をしたけれど、よくお話ししてくれてあまり苦ではなかった。以前も言ったが私は1つの集団に1人くらい嫌いな人がいて、職場でも例外ではないのだけれど、その人への苦手な気持ちが頭を支配してしまう癖がある。やめたい。苦手だと思う自分を変えないといけないのはわかっているけれど、どうすればいいのかわからない。

うつを患ってから、テレビや映画をあまり見れなくなった。自分にとって衝撃の強いニュースはだめ。この間はコメディ映画で主人公がツイてないシーンを見るのも耐えられなかった。これは映画なんだ、フィクションなんだと言い聞かせながら笑っていた。本だと平気なんだけど、でもまるで自分がその本に入り込んだかのような状況になる。これは昔から。感受性が強いのだと自覚している。感情が引っ張られることはよくある。フィクションでも、誰かの話でも。私の周りには何人かのいわゆるメンヘラがいるのだけれど、その人が何らかのメンタル疾患を持っているかは別として、なるべくその人のメンタルに関する悩みには対応しないようにしている。きっと自分がその人の感情に持っていかれてだめになるし、そうなると相手のメンタルの調子にまで響きかねないからだ。比較的仲の良い友人がうつ病と診断されたと私に報告してきたが、ふうんそうなんだと相づちを打つにとどめた。申し訳ないと思っている。きっとうつ病の私になら理解してもらえる、話せる、と信頼してくれたのだろう。でもあなたに感情移入していたら、もっと申し訳ないことになると思うから。

最近は何も考えないようにしている。「楽観も悲観もせずに、目の前のことだけをただ淡々とやりなさい」という恩師の言葉を、4年越しに少し実践できるようになった。ああ恩師に会いたい。何も考えない。学校、教師、家庭、うつ、就職、何も考えずニュートラルに無の境地で生きるのだ。抑圧ではない。と信じたい。

「うつは甘え」と言う人は、私の周りには一人もいない。とても運がいいのだと思う。あとは、私がこの人になら話していいと真剣に考えた人にだけ自分のことを話すのもあると思う。それに私が身を置いている環境が、比較的メンタルに理解のある場所であることも。自分は運がいいと思っていたけれど、”運の良さ”には少なからず自分の努力だったり、実力が含まれていると思う。テストだって自分が勉強していなければ得意な部分が出題されることもないんだし。そういう気持ちだ。私は最近大きな成功を収めたのだけれど、自分が頑張った実力に、ほんの少しの運の良さが乗じて、うまくいったのだろうと思う。”自分が頑張った”と思えるようになってきている、最近は。

あ、でも唯一、ひとりだけ、メンタルの相談に真剣に向き合ってあげている人がいる。その人だけは例外だ。時々ほんの少し、彼女の心の調子を気にしている、そんな程度だけど。きっとうまくいくと思う、私たちなら。そういう気持ちだ。