美しいもの

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「死にたい」の対処法

死にたい気持ちはもうそれはそれはどうしようもできないもので。

頭ではわかっている。死んではいけないと。

自殺者にはうつを抱えていた人が多くいるらしい。わかってる。

本当によくよくわかっているけれど、それでも死にたい気持ちはどうしようもできないのだ。あらがえない。不可抗力。死にたいと思ってしまえば、もうどうにもできないものだ。

幾度も死にたいと思い、一度は危うく死ぬところだった。このときの出来事もいつか話したいけれど。

ただ最近は、このどうしようもない「死にたい」をうまく交わせるようになった。これは自分の対処法である。

ここ半年ちょっと、日常的に死にたい気持ちが現れていた。本当に死にたくなくても、本当に死んでほしくなくても、「死にたい」「死ね」が口癖になっていた。それはもう、舌打ちをするとか、悪態をつくとか、そういう次元で、ちょっと嫌なことがあるとその度に死にたいと死ねを使っていた。そして、「死ね」と言う対象の多くは自分だった。

このように「死にたい」気持ちが日常茶飯事と化していたことが幸いしていたのかもしれない。あるとき私は調子が悪くて、気持ちが落ち込み、死にたい気持ちが頭を支配していた。

そのときに、ふと「あれ、私別に本当に死にたいわけじゃないのに死にたいと思ってるな」と思った。

この自覚こそが対処法だ。

私は心から死にたいと思っているのではなく、病気の症状で死にたいという気持ちが出ているだけなんだと!

自分の心が思っている気持ちとうつ病の症状が発している気持ちを切り分けることが私にとっては有効だった。

本当につらいときは症状が心も体も支配していて、心底から死にたい、消えたいと思ってしまうのだが、日頃の死にたい気持ちを自覚することで、本当に差し迫った状況を少しでも緩和できるかもしれない(もっとも私がこの対処法を得たのが最近なので、これは憶測にすぎない)。

これはきっとうつ病でなくても、死にたいという気持ちでなくても使えるだろう。自分の本心と、きつい状況に直面した自分の気持ちを切り分けることで、少し自分の気持ちを整理できると思う。

 

自覚すること。本心と症状を切り分けること。

私は死にたいが襲ってきたら、「え、あんた本当に死にたいの?」って問ひ返す。それで少し自分の状況を自覚できたら、こっちの勝ちだ。