美しいもの

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介入

私はメンタルがこんななんで、なるべく他人のメンタル事情には介入しないように気をつけてるんです。本当はおせっかいでお世話焼きな性分なので、他人が困っている姿を見ると居ても立っても居られないのですけど、でもそこで首を突っ込むと最終的に破滅が待っているので。今日はこの話をしていきます。

誰か有名な人が、メンタル疾患の人を支えるべきかという質問にこう答えていました。「介入してもいい。しかし、介入するならとことん、絶対に途中で投げ出さないこと。それができそうにないなら完全に突き放しなさい。中途半端にメンタル疾患の人を助けようとして、自分の都合が悪くなるとやめちゃうのが一番よくない」と。

ああ自分はこういう経験をしたことがあって、それで今のスタンスを持っているのかもしれないですね。私のことを頼ってほしい、と説かれて、人に甘えられない私がゆっくりゆっくりその人を頼れるようになったのですね。しかしその相手と疎遠になることで、最終的にはもうメンタルの相談を持ち掛けないでほしい、とお願いされる結末となりました。ある特定の個人をブログに書いてしまうのは申し訳ないけれど、あの経験が今の私のスタンスを決めたことはおそらく間違いないでしょう。

そう、誰も自分のことを救ってはくれないのです。そのきっかけを与えてくれることはあれど、最終的には、自分自身がなにか糸口を見つけて、そして勝手に救われるのです。カウンセラーも、親友も、恋人も、母親も、自分を完全に救ってはくれないのです。

私の周りには、職業柄、それか似たもの同士魅力を感じるのか、メンタルに課題を抱えた子が多くいる気がします。仲良くなるとお互いのメンタルについて自己開示したりすることもあるのですが、本当に申し訳ないと思いながら、適当に聞き流したり、踏み込んでも共感するだけにしています。

 私と同じメンタル疾患にかかったと告白してくれた友人、ごめんなさい。死についてぽつりぽつりと話してくれた親友も、悩みを話してくれる別の親友も、ごめんなさい。申し訳ない気持ちはあるのですが、それでもなるべく聞き流す私を許してください。

私の弱いメンタルでは、他人のメンタル事情を聞くと引っ張られます。私が介入しない1つ目の理由は自分自身の保身です。一生懸命他人の話を聞けば聞くほど、自分もそれに引っ張られて同じ感情になるのです。そうなると、きっと相手の相談に応えられなくなり、それこそ、もう相談してこないで、と言ってしまうかもしれません。中途半端な介入はメンタルの当事者を最も深く傷つけます。これが、もう1つの理由です。きっと私が介入すると、共倒れになります。私も不調を起こし、相手を拒否し、そして相手も悪化する。私はそれを望みません。それならば、深く介入をしなくても、楽しい関係を築いていたいじゃないですか。

 

本当は他人の相談にどんな風に返したらいいのかわからないだけで、それをこんな言い訳でごまかしているのかもしれません。所詮私はそういう人間です。でも当事者だからこそ、当事者が抱える問題の解決策は重すぎて、実感がありすぎて、解決策なんて私なんかには思いもつかないのです。だからもうしばらく、この介入スタイルを続けるつもりです。いつもごめんなさい、そしてこんな私のそばにいてくれる何人かの人たちに感謝しています。