美しいもの

美しいものを追いかけていたい http://twitter.com/kasg_wr

どうか

私は最低だ。そういう言葉を最近言わなくなった。

どうすればいいのかわからない状況が本当に苦手だ。どうすればいいのかわからないからどうしようもなくて様子見をするとさらに悪化するのだ。いじめに対して教師が「様子見」という態度をとることが一番いけないと習った。様子見というのは聞こえのいいただの言い訳にすぎない。様子見はつまり放置だ。傍観だ。

 

誰かを呪っていた。父親を恨み、家庭を恨み、学校を恨み、受験を恨んだ。誰かのせいにした。しかし、誰かを恨んだところで何も変わらないのだと最近は思っている。原因を究明することは大切だ。しかし、原因を他者や社会に向けたところで私にはどうしようもないのだ。それに、最近はいよいよ、自分が全ての原因なのだろうという境地に達しつつある。他人がどうとか、学校がどうとかではなく、自分が原因でこうなったのだろうと。

そう、誰も私のことを救ってくれないし、誰も自分を地獄に連れてきたわけではないのだ。頼ることは必要だし、頼ることができない自分の性はよくないけれど、本当に困ったときに頼れる人なんていないのだ。誰も自分を救ってはくれないから。きっと、自分で勝手に地獄に落ちて勝手に這い上がっていくのだろうと思う。

人には人の地獄がある。これが最近のテーマだ。自分だけが主人公で自分だけが特別な人生を送っているという気になっていた。けれど人には人の地獄があって、誰もが今も何かを抱えながら、過去に抱えて、そして生きている。

人は簡単に死ぬ。自殺は別として、本人が望まないかたちで亡くなることってどういう風にとらえればいいか分からない。私は応援してる芸能人がいるのだけれど、この人もいつかは死ぬのだなと時々心にとめている。家族や友人だってそうなんだろうけれど。人が死ぬという状況に直面したことのない私は、きっと何もわかってないのだろう。

どうでもいい話だが、あと1週間でやらないといけないタスクと、毎日こなしたい生活習慣があって、それらが対立している。寝る時間が遅くなるのは嫌だけれど、あいにく私は午後や夕方にならないとやる気が出ない。毎日毎日寝る時間が遅くて自分を責めている。そのジレンマに悩まされてきたが、最近はもうやるべきタスクが終わればなんでもいいじゃないかという気持ちでいる。優先順位をつけられるようになったかな。うまくやっていければいいのだけれど。自責感をなんとかしたいなあ