美しいもの

美しいものを追いかけていたい http://twitter.com/kasg_wr

きらきら 2

なるべく見ないように見ないようにと避けてきたことそれは高校時代の日記を読み返すこと読んだら崩れてしまうわかっている大きな大きな傷口今は大学時代という絆創膏でふさぎ込んでいる傷口に指を突っ込むようなことだからそう先日チョコレートを買ったときそう先生がくれたものと同じチョコレートを買ったときあの夜私はあの日の日記を読み返そうと思ったのだ先生がチョコレートをくれたあの日私はどんなことを記していたのか気になって見てはいけないとわかっているがその辺りの日を見計らいながらページをめくったのだった

見つけたその日の出来事はたった一行で表されていた チョコレートをもらった 嬉しいと その程度の文章だった その日は忙しかったのだろうか私にとってはあの出来事は人生においても非常に大切な瞬間だったのだが 当時も今もだよ でも高校時代のあれこれは何行も何ページも書かれてあった 受験期でも頻度や量は減ったが日記を書くことはやめていなかったから あのどん底の苦境にありながらも、ネガティブな言葉よりポジティブな言葉にあふれていたことに衝撃を受けた ポジティブというよりは、日々つづられる言葉のすべてがきらきらしていた どうしてあの状況にありながら、希望を抱き、きらきらと輝く言葉で自分を鼓舞し、全力で生き続けていたのか青春を過ごしていたのか意味がわからない 確かに高校時代は死にたいとは思っても実際に死のうと考えたことはなかったのを思い出す それでも日記帳の言葉が単語がきらきらと輝いている理由はわからない 全力で生きていたからかそうとしか言いようがない何度も何度も書かれた好きな歌手の好きな歌詞を書いた高校時代の自分の文字を久しぶりに読み返し、どんなに今はつらくても希望が待っているのだと信じてやまなかったきらきらした自分におそろしい気持ちを抱いた どんな闇の先にもゴールは待つとかどんなつらいこともいつかはいい思い出になるとかそういう言葉たちを何度も何度も書いて自分に言い聞かせて希望を持って全力で青春を駆け抜けた私だが今のところゴールとかいい思い出とかそういう境地には立っていないまだそんな甘いもんじゃないというのはわかっている

もうどうあがいても当時のように全力で生きることもきらきらと生きることもできないだろう あれは自分の年齢が高校生といういわゆる青春時代だからなせた技なのか、はたまた自分の置かれた環境のせいかはわからない。ただ1つ言えることは、もうあのときのように全力で生きることはできないのだということだ ちょっと寂しい気がするけれど、このようにして成長していくのであれば私は大歓迎だ。飄々と適当に生きる人にわたしはなりたいから。