美しいもの

美しいものを追いかけていたい http://twitter.com/kasg_wr

なんでもない日のケーキ

私なりにいろいろ考えていることがある。

私の興味のあること。

教育。

ただ丸暗記する勉強じゃなくて、なんでそうなっているのか知ろうとして、理解できるような教育をしてみたかった。

心。

人の心の闇に触れてみたかった。助けられなくても、少しホッとできるような、なんかちょっと軽くなるような取り組みをしてみたかった。

学校の先生になって、子どもがやってみたい!と思える授業ができたらどんなにいいだろうか。

カウンセラーになって、うーん、病院でメンタルの病気に向き合うのは私には重すぎるから、スクールカウンセラーになったり、企業のカウンセラーをしたりしてみたかったかなあ。大学院に進んで心理学をもっと学んで、カウンセラーか研究者になるのもアリだった。

月に一定額を払えば、24時間メンタルの相談ができるような電話やメール、サイトの相談窓口があればいいのにと心から思った。起業してそういうことをやってみることは私の小さな小さな夢というか、夢と呼ぶほどでもないちょっとした希望だった。第五希望くらいの。

児童相談所に勤めるのもいいなと思った。大変そうだけど、誰も見ていないところでなにかが起こっていて、それを誰にも知られないように救うというものは、静かな獅子のようで、とてもかっこいい仕事だと思う。

塾は塾でもテストの点を上げるような塾じゃなくて、子どもがなるほど!そうなんだ!もっと知りたい!って思えるような勉強や体験ができる塾を開いてみたかった。少年の家みたいなところに勤めて、山奥や海辺で子どもたちや人々が体験したり寝食を共にすることのサポートをしてみたいとも思った。この職業は就活をするとき本当に応募しようか迷った。

教育が発達途上の国の、海外の子どもに勉強を教えてみたかった。海外の日本人学校で、日本人の子どもに日本の教育を教えてみたかった。いろんな子どもとふれあってみたかった。

病院にいる子どもやその家族のサポートをしたり、勉強を教えたりしてみたかった。

 

ああ夢は夢のまま終わってしまったようだ。正確に言うとまだ若いのでこれらの道のいずれかに飛び出してもいいのかもしれないけれど、私はある程度自分の人生のルートを敷いてしまったように思う。自分の意思でだけどね。

教師の夢はさっぱりやめた。あんな大変で人付き合いにまみれた職業無理だと思った。周りの友人は何人も教師になった。残業が100時間を超えたとか、毎日子どもに振り回されるとか、まあまあ大変そうだ。充実しているようにも見えるけど。

人の心に寄り添う仕事も自分には無理だと思った。私は私のメンタルを保つために諦めた。私はうつ病だ。多分カウンセラーや児相の職員なんかやってたら、自分がすぐに潰れると思う。友人でカウンセラーの道を選んだ人は何人もいるし、児相に就職した人もいる。本当に大変な仕事だろうが、彼らならきっとうまくやれるだろう。

前にも言ったことがあるが、私は好きなことを嫌いになってしまうきらいがある。趣味も然り、夢も然り。そして私はメンタルがすこぶる弱い。どうしようもないくらい。うつ病だし。そんな私が選んだ道は、憧れややりたいことをやる人生ではなかった。

教採を受けて合格すればきっと教師になれていただろうし、大学院に進学していれば臨床心理士の資格は取れただろう。ただ、私は、その道を選ばなかった。選びたいとはどうしても思えなかった。

起業して自分のやりたいことをやるのには、私のうつ病が邪魔をすると思った。無気力と面倒は私を定期的に襲う。もしかしたら私の考えが間違っているかもしれないが、なにか自分でゼロから一を生み出すのに、情熱の炎が消えてはいけないと思っているから。

塾で働くこともやめた。母親から反対された。働く時間が平日夜と土日と長期休暇になるから、自分が子どもを産んだら続けられないと。その通りだと思った。私は私の生活を優先した人生を送らなければならない。

海外に出てみたいという希望は叶わなかった。発展途上な国に出て、今まで通り定期的に精神科の病院でカウンセリングを受けたり薬をもらったりすることは厳しいと考えた。体調が急変したりトラブルで帰れなくなったりしたときがこわくて、海外旅行に行きたいともあまり思わなくなった。

少年の家に勤めたいという希望は、その会社が全国転勤だったことで諦めた。転勤になるたびに、新たな環境に身を置き、病院を探し、通うことは体力的にもきついと判断した。

 

私は小学2年生のときから教師になることを夢見ていた。今もその情熱が消えたわけではない。子どもに勉強を教えるのは本当に楽しい。でも私は、ほとんど関係のない職業に就いた。

その職業は、理不尽な理由でクビになりにくい。うつ病が悪化したらリストラされるかもしれないけど。「私にとって少し興味のあることだけど、実際に仕事をするときには、あまり興味のないことをやらされる」という程度の、私のやりたいことが、今の仕事だった。

子どもや人の心、そういうものに直結した仕事とは言えないが、回り回って、そういうものに少しだけ貢献できるかもしれない仕事を選ぶことはできた。誰かのために、誰かの生い立ちや背景が少しだけあたたかいものになるようにすることが私の仕事なのだと思っている。毎日大変だけど、そんな「ちょうどいい」仕事に出会えただけでもう十分かもしれない。だってちょっと前は死のうとしたし、その少し前は学校に毎日行くことすらできない子だったのだから。

そんなこんなで妥協と検討と努力を重ねて行った就職だったのだけど、唯一、私の夢が叶ったことがある。それは、私が大好きな場所が勤務地になったことだ。そこに足を踏み入れて、歩いて、景色や雰囲気を眺めるだけでうっとりしてしまうような、そんな場所が私の居場所になった。これは運も実力もあるのだろうけど、なんというか、ちょっとしたご褒美のようなものだと思っている。なんでもない日のケーキとか。別に自分が誕生日にどうしても食べたかったケーキじゃなくていい。誰かと一緒に遊んだときに、成り行きで行ったカフェのケーキ、コンビニでちょっと贅沢しようかなと思って買ったケーキ、そんなものが今の私の夢の形であり、お仕事なんだと思う。