美しいもの

美しいものを追いかけていたい http://twitter.com/kasg_wr

口語

今日も今日とて文章を書いた。今日は思うところがたくさんあった。それを全部全部、全部書ききれたとは言い切れないが、文章に起こしてみた。このブログに投稿しようと思ったが、ちょっとパーソナルな内容だったので、別の場所で公開することにした。つまり、特定ができそうな内容だったので、リア垢というやつに投稿したというわけだ。なんだか人に見られていることに快感を覚える側の人間になっていた。随分前からずっとだけど。いいねが欲しい。あわよくばお褒めの言葉をいただきたい。「承認欲求を捨てなさい」と言われた。わかってる。わかってるけれど、まだできそうにない。

毎日暇だ。幸せだ。

私は泣くことが多い。幼い頃から泣き虫だったと思う。小さなことで泣いてしまう。ちょっと泣ける物語で泣くし(とても感動する物語なら鎖骨に涙の池ができるほど泣く)、ちょっと怒られただけでも涙が出てくる。救急車が通っていて、車がみんな道を空けてあげて、猛スピードで救急車が走り去る姿を見て涙が出る。見ず知らずの幼児がお遊戯会で歌っているところを見るとなぜか涙が出る。幼い頃大好きだった絵本の大好きなページを久しぶりに見返したら涙が出た。きっと感受性が強すぎるのだと思う。加えて私はうつ病になってしまった。うつ病ってつらいんだよ。つらくて涙が出るし、何がつらいかも分からないのになんかしんどくて涙が出るんですよ。そんなわけで私は事あるごとに泣く大人になってしまった。泣く頻度ならその辺の小学生にも負けないと思う。もはや泣くことの意味がよく分からなくなっている。別にいいんだけど。ただ、ちょっと失敗したり人からとやかく言われたくらいで涙が出てしまうのはまずい。職場で無駄な心配をされるだろう。無理して泣かない練習をするのも精神衛生上悪そうだし、私自身この特性が嫌いではないので、うまく職場だけ泣くモードをスルーできるようにならないかなあ。

ああそう、特性といえば、私は料理が苦手だ。苦手なんて生ぬるい言葉は合っていない、料理するか死ぬかだったら死を選ぶほど料理が無理だ。私に無理矢理料理をさせたらきっと私は発狂して泣き叫びながら家を飛び出しアスファルトに頭を打ち付けて泣きわめくだろう。それくらい無理なのだ。何が無理かって個人の裁量に任されるあの感じ。適当な大きさに切って、中火で、色が変わるまで辛抱強く炒めて、適量を入れて、ああどうしてはっきり「何グラム」とか「火の大きさは何ミリ」とか言ってくれないのか!?普段やってる人はその辺の加減がわかるだろう。それが私にはわからぬ。理系向けの料理本なんかが一時期話題になったが、私はその本を買った方がいいのだろうか。それに私は失敗が苦手だ。これは完全に自分に落ち度があるのだけれど、「均等に切れない」「なかなか玉ねぎがアメ色にならない」「焦げ出した」「ひっくり返すのを失敗した」「分量を間違えた」など、初心者には失敗が多すぎるのだ料理は。慣れればできるようになるのか?慣れるまでがつらすぎて私には無理だ。あと家族全員分の料理を作るのも苦手だ。一人暮らしをしていたときは1人分でいいから楽だった。失敗しても自分しか困らないし。n人分の材料をどーんと鍋やボウルに入れた時点でパニックを起こす。本当にだ。

極め付きは家族。「分量なんて適当でいいよ」「そんなの大した失敗じゃないよ」という優しい(?)声かけが私のパニックに火をつける。分量通り入れるくらいの能しかないから頑張って計量してるんだよ、失敗が苦手な性分にはこの失敗は致命傷なんだよ!!!!!という気持ちで泣いてしまう。事実この間肉じゃがを作ったときは分量がわからなくてその場で怒り狂って泣き出したし、その前はフレンチトーストで食パンが崩れてイライラと絶望で放棄してしまった。それくらいのことで?と思うでしょ?それくらいのことが私にとっては致命傷なんです。よくない特性だという指摘はしていただかなくて結構です。その上母親には料理ができない、しようとしない私に嫌味を言ってくる。なんで女に生まれてきたんだろうと料理に関しては思う。私が男に生まれてくるか、女性は料理ができなきゃねという世の中の風習が少しは改善されるかのどちらかにしてほしい。私も精神が安定したときは野菜切ったりするんで。

 

今日は疲れた。朝10時の時点でヘロヘロだった。今日はよく眠れるといいなあ