美しいもの

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がんばることについて

がんばることについて。

がんばりすぎだよとよく言われる。

がんばりすぎじゃないってよく言われる。

今はがんばりすぎているなと思えます。自分で。

ただ前は違ったのです。

 

うーん。

がんばっているつもりはなかった。

いや、頑張りすぎているつもりはなかった。

高熱を出した冬に「あんたがんばりすぎだよ」と先輩に笑われた。

全然がんばってないようと思った。

うーん。本当にがんばっているつもりはなかった。

どれだけがんばってもがんばっているに入らなかった。

こんなの努力のうちに入らないと心底思っていた。

思い出すのも苦しいね。

今はそんな自分を苦笑いしながら回顧することができる気がする、

苦しい。

頑張ってたんだろうなぁ。

やってもやっても落ち着かない。

やってもやってもやった気がしない。

もう本当に苦しかった。

 

 

そして今。

冬の最中に高熱を出した。

あの年の風邪と似ているような気がして、

どうすればいいかわからない。

 

がんばりすぎてしまう

決して褒められたことではない。

状況が似ている。

恐れる必要などないとわかっているけど、

繰り返しはしないかとじわりじわりと恐れている。

 

次は私の番だ。そういつも思う。

精神を病み疲弊し倒れていく人 何人か見てきた。

私もそうなるかもしれない。

不安だ 不安だ

努力を努力と思わないところはきっと長所ではあると思う。しかし、どうしようもない落とし穴の原因にもなり得ると思うんだ。私がそうであったように。

 

 

どうしても頑張ることをやめられない。

いつも頭に「あれをしなきゃ」「これをしなきゃ」が溢れているし、かといって思ったように行動できるかと言ったらそうとも限らないし、行動できればとっても疲れるし行動できなければ「しなきゃ」「できなかったなぁ だめだなぁ」で頭が支配されるし、最終的に満足できるような心地の良いような成果は上がらないような気がして

 

「ゆっくりできてる?」と聞かれるけど、ゆっくりするとか休むとか、具体的にどうすればいいの?

私には休むということができない。

いつか読んだうつの本(『ツレがうつになりまして』という本)に、「この人はダラダラする方法も分からないのだ!!」みたいなセリフがあったのを思い出す。うつ病の「ツレ」が、真面目すぎて休職中であるにもかかわらずだらだら休めないというシーンでの妻のツッコミだ。私も多分、それだと思う。「さぁ、休んでください!」と言われてもきっとどうすればいいかわからないし、現に今も、ゆっくり過ごす時間をつくろうと模索しているんだが、一体何をすればいいのか全然わからない。

何もしないというのはとても落ち着かない。かといって携帯を見続けるのは明らかに疲労していくだけな気がする。うーん 休むと言うのは何をすることなのか?誰か教えてくれ。

 

今ふと思い返したのは、小学生のときの放課後の家での過ごし方。友達と遊んで夕食を食べて宿題をしてお風呂に入って、そして何を知っていたかというと、読書をしたり絵を書いたりしていた。そういうことなのか?これが理想的な「ゆっくりする」ということなのか?

 

最近は家に帰っても家事、スマホ、勉強、ストレッチ、お風呂、明日の準備、スマホ、寝ないといけない時間、スマホスマホといった感じで、ルーティーンという名の「しなきゃ」縛りに少々疲弊していた。頑張りすぎだよなぁ。これを書いたことで特に何も解決はしないけど、まぁ考えていることを文字に表せたからいいかなぁ。うーん。こうやっていつも考えすぎることも良くないんだろうか。良くないんだろうなぁ。

I hate you

お風呂見てると死ねるような気持ちになるのは前に読んだ本があるからか

死にたい。

喉が痛い。

父親の不機嫌を浴び続けている。

アドラーの教えを忘れている。もう3年も経ったのか

スマホの見過ぎで首が痛い。

背後から聞こえてくる冗談とちらほら聞こえる相談事 他人事ではない

なんでだろうね不思議だね。

がんばってるよいつも。

がんばりすぎたんだね。

 

嫌い。

近況

無理をしない。

これは本当に最近実践できつつある。

というのも、友人に影響を受けたのだ。その人は無理をしない人で、私が少しでも無理をしていたらなぜか必ずそれに気づいて「無理をしなくていいんだよ」と言ってくる。そのおかげか、自分が無理をしていることに自覚的になれたし、「あ、今日はここが限界だ」「今週はこれ以上予定入れられないな」と考えられるようになった。

 

忙しくてやってられん。嘘。ちょうどゆとりのある時期に風邪をひいてしまい暇な時間が療養でつぶれたため、なんだか最近ゆっくりしてなくない?と感じるだけ。暇すぎるのって忙しすぎるときと同じくらい疲弊するよね。とりあえず明日は絶対に風邪をひかないようにがんばりたい。ちゃんと寝るとか。いや夜中に飲みに行く可能性あるからなあ、あっこれ無理してるか。まだまだだな。


猛烈に死にたくなる。
みんなが風邪をひくと頭が痛くなるように、私はうつの波がくると死にたくなるのだ。
本当に怖いのは、死にたいと思うのがあたかも本心かのように自分の気持ちを支配することだ。今は症状だと切り分けられるようになったんだけど。
症状だと分かっていてもつらいものはつらい。いても立ってもいられない。私は今、猛烈な死にたいと闘っている。
久しぶりの感覚だ。おそらく。ここ1年くらいは概観すると調子がいい。でもそれでも、年に何回かは猛烈に死にたくなる。
大丈夫になんかならないよ。
きれいな景色をもう一度あなたと見に行きたい。
でもそれは叶わない。

入院ごっこ

風邪をひくとメンタルの調子も悪くなるというか、普段ため込んでた諸々が風邪という体の不調と休養による気持ちのゆるみで全部溢れてくる感じ。
最近は調子もよくてよくやれてるなと感じていたんだけどやっぱり脳みそのどこかにしわ寄せがきていてそれが今回ぶわあっと溢れてきた。以上。
だから今は入院ごっこをしている。何もしない。布団の中にいる。入院ごっこと銘打ちしないと私はせかせかがんばり始めるから。一日中布団の中でスマホをいじることこそ不健康な気がするので、気が向いたら近所をとぼとぼお散歩しようかしら。

うつ

やっと少し落ち着いた。
久しぶりにメンタルの不調で泣いた。
泣き叫びながら思い出したのは職場の先輩の顔だった。
いろいろ溜め込んでたんだろうなと思った。
泣きながらも冷静な自分がいて、いつものように鼻をかんだら一旦落ち着いた。

パニックになった。体も心もむずむずわあああああとなって、居ても立ってもいられない。あの感覚は本当にきつい。たまらない。あんなに溜め込んでいるものがあるとは自分でも思わなかった。でも納得はできた。

グレーゾーン。
私は発達障害に診断されることはないだろうが、その特性を若干持ち合わせている気がする。
だからなんだという話だけど。
自分に合理的な配慮を。
って他人にするより難しい気がする。
急な予定変更が極端に苦手だったり、鉄道が好きで時刻表や路線図をひたすら眺めていたり、趣味に熱量をかけすぎたり、譲れない部分に対するこだわりが強かったり。
だからなんだという話だけど。きっと私は発達障害の範疇には入らないし。
生きるのって大変だよね。
いつまたうつの波が来るか分からない。
次は私だ。
いつもそう思う。

自分の調子を自覚することは本当に大事なんだけど、「あ、今調子悪いな」と思えてる時点でそこまで調子悪くないんだよね。だから今は具体的な症状に目を向けるようにしている。妙に喋りたがったり、楽しみな用事が憂うつになったり、ぼんやりと、だけど猛烈に死にたくなったり、そのときに「あ、今調子悪いな」という思考につながるようにがんばっているところだ。

この考えは誤っていると分かっているけど、時折、薬を飲んでいないと普通に生活できない自分って生きる意味あるんだろうかと考える。薬ないと死ぬ。いや死にはしないけどそれに近い不健康な状態にはなるじゃん。むなしくもなるよね。

恋愛ことしらべ

どっちに転ぼうと幸せだし、どっちに転んでも不幸。そんな行き詰まりなことって恋愛にはありがちだよね

 

前の恋人が右利きだったか左利きだったかも忘れちゃったよ。

 

恋愛の歌をたくさん歌う歌手の人が、なぜ恋愛の歌ばかり作るのですかと聞かれて、「人の気持ちが大きく動くのは恋愛だと思うから」と言っていた。

 

恋愛はときにチープで、いつもドラマチックなものだ。

 

人と人は、お互いの事情を知らず、知識も異なり、意見も考え方も少しずつ異なり、気づかいと深読みと忖度をしあった結果、戦争になる。

 

きらいなところを5個も言える相手なんて、そうそういないよ。

 

何かにつき動かされないと書けない。

物書きやクリエイトな仕事をする人は、どこからそのエネルギーが湧いてくるのか。

 

みんな後ろめたい過去や崩れるような出来事を抱えていて、

 

人をいじめたりしたら必ず返ってくると、

 

この違和感は何なのか。

 

波の音、素晴らしい夕日、自転車、カフェ。

 

きれいなものは絶えないなあ。